人間が馬鹿なのは"そういう風にできているから"
人間はとても馬鹿だと思う。
馬鹿なようにできている。
感情の扱い方や余計な思考によって簡単に判断を誤るし、何回も同じ過ちを繰り返す。自分すら思い通りにできないのに他人をコントロールしようとする。その上自分が正しいような顔をしている。
別に人間が嫌いだとか悲観主義的な話では全くない。
むしろ反対というか、そんな現実を直視すればする程、逆にそれがとてもよくできたシステムに思えてきた。っていう話。
今日、自分がアンドロイドになっている夢を見た。
最近アンドロイドのゲームをしたからというのもあるかもしれないけど、そういえば昔からそんなことを考えていたなぁとふと思い出した。
人間とか生命とかいうものを皆なぜか神秘的な何かだとぼんやり思っていたりするし進化論とかそういう説明だけでどうしてそれを無条件に信じられるんだろう。
ほとんどの人が、生きている・人間であるということを臓器が動いているとか感情があるとか自分の思考があるとか意思があるとかいうことで理解しているかもしれない。
でももしそれがそういうシステムだったら?
巧妙に、高度な技術でデザインされているものだったら?とよく考える。
『誰』にデザインされているかとかそういう宗教的な話がしたい訳じゃなく、とにかくそういうシステムが動いていると仮定したらの話。
多くの人は、
感情をうまく処理できなかったり
コミュニケーションで失敗したり
例えば自分のズルさや腹黒さや弱さなんかを
エラーだとか欠陥のようなものと思っているような節がある。
過去の自分もそうだった。
見方によってはそう見ることもできるかもしれない。本来人間というのはもっとより良い状態があるんだ、と。
でもよくよく考えたら今まで出会った人でエラーのない人なんかいなかった。
程度の差こそあれ最初からうまくやれている人なんて見たことがない。
ということは逆説的に言うと、もはやそのうまくいかないことも全部システムに組み込まれてると考えることもできるんじゃないだろうか?
そのエラーの程度が大きい(大きく表れているように見える)人がそこから抜け出しにくいのは、エラーの程度が実際に大きいからじゃない。
エラーの程度が小さい(大きく表れていないように見える)人を見て、自分はダメだとか欠落しているとか思って、なんとかそのエラーを修正しようと頑張る…というそのやり方がうまくいってないだけなんじゃないか。
なぜうまくいかないかっていうと、
それを
エラーと考えているから。
自分は欠落している、エラーを修復しなければと思えば思うほど、
それがエラーである
という信念を強化していることになる。
そしてそれをエラーだと認識しているということは
=システムを理解していないということなんじゃないか。
僕が思うにそれはエラーじゃなく、人間の根底にあるシステムだから。
その認識がそもそも違う。
システムを理解していなかったらそれに対処することはできない。
感情で思ってもいない言動をとってしまうのはそういう風にできているからだし、
感情をうまく言葉にすることができないのも、
自分の感情がわからないのも、
イラ立ちをうまく処理することができないのも、
コミュニケーションの取り方がわからないのも、
接する人によって色んな自分が出てくるのも、
やろうと思っていることをなかなか行動にうつせないのも、
決意したことが後で変わってしまうのも、
人のささいな一言に傷ついてしまうのも、
価値観の違う人とぶつかってしまうのも、
大事なものを大事にできていないように感じるのも、
自分を守るために人を犠牲にしてしまうのも、
自分を正当化する為に人を非難してしまうのも、
自分の問題を直視しない為に関係ない所にぶつけてしまうのも、
気分にムラがあるのも、
約束を守れないことがあるのも、
時々無気力になるのも、
悲劇のヒロインを演じてみるのも、
落ち込みからなかなか立ち直れないのも、
同じ失敗を何度も繰り返すのも、
人が簡単にできることを自分はできないのも、
人と自分を比べてしまうのも、
人のことをうらやむのも、
人に優しくすることができないのも、
人より優位に立ちたいと思うのも、
自分をずるく感じるのも、
表で良い顔をして裏で文句を言うのも、
将来のことを不安に思うのも、
自分にこの問題を乗り越える力はないと投げ出しそうになるのも、
『そういう風にできているから』
必ずしもそれが全て表面化する訳じゃないけどそうなりやすいようにできている。
だからまずはそれでいい。
自分だけが特別欠落している訳じゃない。
自分だけが特別嫌なやつな訳じゃない。
みんな馬鹿だし機能不全だ。
だけど次の一手は自分で選択できる。
次々に"降りかかる"出来事や"自然に沸き起こる"感情に翻弄されるだけの存在じゃない。
いつだって選ぶことができる。
今日うまくいかなくても次に同じようなことがあった時、違う方を選ぶことができる。
そもそもそういう風にできているんだから何回間違ってもうまくいかなくても想定内で悲観するようなことじゃない。
例えばRPGのゲームで敵にやられてももう一度やってみようと思えるのは、ゲームってそういうものだと理解しているから。
それと同じ。
次々に問題がやってくるように見えるのも最初からうまくいかないのも、そもそもそういうものだから。
ちなみに敢えてわかりやすく馬鹿と書いたけど、厳密に言うと馬鹿とかそういうことでもなくて、もう単にそういうシステムというかそれがデフォルトってこと。
正常。順調。
だからより物事をスムーズに、自分の望む方に進める為にできることがあるとすれば、感情を押し込めたり思ったことをなかったことにしたり我慢したり無理に何かを変えようとしたりすることではなく、それをエラーと考えることをやめること。
それはエラーではない。
理由や目的があって起こっていると考えてみる。
もしかしたら何か心の奥に隠している目的の為にやっているのかもしれないし、
何か見落としているものに気づかせる為にあるのかもしれないし、
何かを恐れていて不自然な形で現れてしまっているだけかもしれない。
例えばそんなようなこと。
そういうもの全てを含めて今システムと表している。
つまり訳のわからない・理解できない・自分ではどうすることもできないただの欠陥、理不尽で何をもってしても補うことのできない致命的な問題、という意味での想定外のエラーではなくて、『◯◯だから△△』というシンプルなシステムなんだ、と。(シンプルと言いながらこんなに複雑なものもないけど)
人によってはそれをシステムだと認めたくない気持ちもあるかもしれない。
それぞれ環境が違うし、家庭とかお金とか病気とか周りの人間関係とか過去の経験とか色々なものが複雑に絡まりあっていて、自分の場合は特別困難なケースなんじゃないかと思えてくることもあると思う。
もちろん個性や向き不向きもあるしそれぞれの道は全然違う道なんだけど、それでもやっぱり根底のシステムは同じだと僕は思っている。
うまくいっているように見えるあの人にも
問題を抱えているように見えるあの人にも
同じシステムが動いている。
だからこそ、全ての人が
その囚われている『エラーという概念』からいつか自由になることができるんじゃないかと。
そんなことをどこかで信じている。
もしもそれを望むなら。