‪なぜ浮気はダメなのか?本当にダメなのか?

浮気がなぜダメなのか
僕はたぶん28歳ぐらいまでわかってなかった。

むしろしょうがないぐらいに思っていた。
だって別に「誰とでもやりたい!」とか「遊びたい!」とか思ってる訳じゃなくても、なんか自分の意志とは無関係の所で感情が勝手に動いて気づいたらそうなっちゃうんだもん的な(バカ)

そのくせ隠す気があんまりないからバレバレで人生で2回別々の女性に本気でビンタされたことがある。
なかなかレアな経験なんじゃないだろうか(クズ)

 

こんなことを正直に言うなんてあり得ないと思われるかもしれないけど、その過程があって今があるので恥を忍んで書いています。浮気とかで嫌な思いをしたことがある人にとっては気分が悪い話かもしれませんがよければ最後までお付き合いください。

 

なんで多くの人は浮気がダメって当たり前みたいに信じれるんだろうって不思議だった。
確かに相手は傷つくし倫理的にダメって意味は何となくわかる…頭ではよくわかってるんだけど…
どこか腑に落ちていなかった。

それでも人を傷つけたい訳じゃないし、しないで済むものならしたくないという気持ちもあった。


だからそんな自分が本当に嫌だった。
大事にしたい人を大事にできないし、人として何か欠落してるんじゃないかと思っていた。

なぜ浮気がダメなのか。
皆よく言われてるような倫理的なことを言うばかりで誰も納得できる理由を教えてはくれなかった。

自分で見つけるしかないと思った。

 


ある女性と付き合っていた時、相手は自分の感情を表現することが不得意な人だった。
自分が何を感じているのかうまく言葉にすることができなくて、ケンカをしたとしても僕が一方的に言いたいことを言うだけで相手は黙ってしまって話し合いにならなかった。

そんな彼女と何とかうまくやろうと色んな試行錯誤をした結果、とにかくまずは何を言っても大丈夫なんだという環境を作ろうと思った。

言いたいことを言えない人が時々いるけど、そんな人にも言いたいことや感情がない訳じゃない。
人のことを考えたりして感情を抑えることを続けてきた結果、自分でも自分の感情がわからなくなっただけなんじゃないかと思った。

だからそんな人は自分の感情を外に出すと『良くないことになる』と思っている。
でも本当は感情は抑圧すると余計にうまくいかない。
何でもいいから、うまく言わなくてもいいから何でも言ってほしい、僕は敵ではないと伝え続けた。
どんなに言いにくいことでも「言葉にすることができた」ということを一緒に喜んで、伝えてくれたからこそ物事が良い方向に進んだんだということを実感してもらいたかった。
僕に都合の悪いことを言われたとしても、伝えてくれたこと自体は責めていると感じさせないように努めた。

そんな中でそれまで感情を力任せにぶつけるやり方しか知らなかった自分自身も『素直でオープンなコミュニケーション』の重要性が少しずつわかってきた。


お互いにオープンであるということでどれだけ今にくつろいでいられるか。
この感じがずっとあればそれだけで結構満たされた感じがある。

結果はどうであれ、常識的な観点から見ればどうであれ、自分が何を感じてもいいということを許されている感じ。
それを表現してもいいという自由。(もちろん思いやりは必要)
相手が何かを言った時にそれを疑わずにそのまま受け取ってもいいという安心感。
そんなコミュニケーションのシンプルさ。

とにかく人がAと言った時に「この人はAと言ったけど本当はBと思っているんじゃないだろうか」っていうような
考えても永遠に答えに辿りつくことがない不安は人生に必要ないと思った。
そういうコミュニケーションはクリアじゃない。
何か濁っている感じがしてせっかく人と人が出会って関わることができたのに勿体ないことなんじゃないかと思うようになった。


それでようやく腑に落ちた。

浮気がダメなのは、付き合っている人以外に目移りすることや関係を持つということ自体ではない。
今のこの世界の常識ではどうしても嘘をつかなければならなくなるからダメなんだ、と。
少なくとも僕にとってはそういう理由なら納得できると思った。

嘘をついたらその時点でオープンなコミュニケーションが破綻する。

何でも言ってくれていい、自分はその意見とは違うかもしれないけどそれでもあなたがそう思ったということは受け入れる。
僕も正直に思ったことを言う、僕が言ったことは疑わずにそのまま受け取ってくれていい。
そうやって信頼関係を築いていって、お互いにとてもリラックスできる関係になっていった。そんな中で。

とても嘘をついてまで、その信頼を裏切ってまで、浮気をできる気にはならなくなっていた。

相手が思ったことを言葉にすることができるようになっていくのは自分のことのように嬉しかった。
すぐにできるようになった訳じゃない。本当にちょっとずつちょっとずつ彼女の中の観念がほどけていく過程をずっと見てきた。
そうやってようやく、ようやく築けた関係性を一時的な気の迷いで失いたくはなかった。


ただその時の自分がまだわかっていなかったのは
一人の人との約束的な関係をできるだけ長く続けるべきなんだと思っていたこと。

それまでの経験から、いくら浮気がダメな理由が腑に落ちたからといって自分のことをまだ完全には信じていなかった。

彼女に嘘をつかなくてもいいように、もうとにかく「誰とも出会いたくない!頼むから誰も現れないでくれ!」と天に祈るぐらいの気持ちになっていて…
出会いのありそうな場所には極力でかけないようにしていた。
その甲斐もあってかその彼女と付き合っている間は浮気をせずに済んだ。
最後まで相手を好きだと思う気持ちを持ち続けることができた。
…結果フラれた。

なんでやっ…!?人生の皮肉w

 

でも今思えばそれはそれで変だったよな。
誰かを好きになることは悪いことじゃないし、SEXをしたいと思うことも悪いことじゃない。
2人の人を同時に好きになることもあるだろうし。
だからそれを正直に伝えることができる関係性なら別に複数の人と関係を持ってもいいんじゃないかと今は思う。
お互いにそれを許容することができるのなら。

既存の価値観とは反するかもしれないけどね。
それは2人の間のことだから。
そもそも付き合うっていうこと自体、別に相手のことを所有するっていう契約じゃないんだし。
そんなことは無理だ。
まぁ僕も昔はそうだったしそういう約束をしてる関係性があってもお互いそれで納得してるんだったら別にそれはそれで学びがあるから否定はしないんだけど。

複数と関係を持ってもいいとは言ってもそこに『必要性』とか『期待』『コントロール』が関わってるんだったらちょっと話は変わってくるけど。
例えば不足感とか何かを相手からもらおうとして関係を持つとか。
何か他の目的の為にそれを利用するとか。
そういう所から来てるんだったらちょっと違和感はあるかな。
ただ心からの喜びの為に純粋に人と関われるんだったら良いよね。無理にたくさんの人と関係を持つ必要もないけど自然にそうなったなら。

それをどんどん推奨していく!って訳じゃないから基本的には普通の付き合いと変わらないとは思うんだけど、もしそういうことがあってもオープンでいましょうという関係は可能だと思うというか。

あとは別に同時進行じゃなくてもその人との間のことが完了してるんだったら「今までありがとう」と言って次に進めばいい。
長く続けることだけが大事なんじゃないし、別れはきっと悲しいことじゃないんだろうなというのは最近思う。
出会わなくて悲しいこともないより、出会ってその間に何かが生まれる方がいいし、
当たり障りない関係で当たり障りないことしか起こらないより、多少ぶつかったり大変なことはあったとしても人生においてかけがえのない時間になる方がいい。


だから次にそういう深い関係になる人とも僕はオープンなコミュニケーションをしたいし、そういう新しい課題に一緒に取り組める人であってくれると嬉しい。

 

でもこの新しい考えはまだ実践して確信を得たものじゃない。

できるなら今までの恋愛のやり方の方が一般的には『普通』だし、ある意味わかりやすいから楽だ。付き合ってそこには言葉にはしなくても約束のようなものがあって。お互いを緩やかに縛りあうような関係はドラマ性もあってそれはそれなりに楽しかった。

だけどもうそれは十分やったかな。

新しい考えの方がこの世界において自然なことのように思える。その感覚に抗えない。

『あなたが望むことが私が望むこと』
それがこの世界の基本構造に思える。

簡単ではないかもしれないけどまぁそちらの方へ進んでみようかな、と。今はそんな感じ。

 


浮気をさせない方法とかを知りたくて読んでくれた人がいたらその答えはなくて申し訳ないけど、そこはそもそも人の気持ちは縛ることができないのでなかなか難しくてですね…
特に今の段階でオープンなコミュニケーションが取れてないんだったら、相手に誠実さを強要するという方法ではなかなかうまくいかないかもしれない。
気づかせないことが優しさだという考え方もあるし、やるならバレないようにやれという人もいるぐらいだし。

だけどもし今コミュニケ―ションがうまくいっていなくても、いつか完全にオープンなコミュニケーションが取れる関係性を築けることを願う。


自分が思ったことを受け止めてもらいたいならまず思ったことを『素直に』『普通に』伝えれるようにならないといけないし、相手の思ったことも否定せずにまずは受け止めないといけない。その練習は必要。それができる人とできない人がいるんじゃなくて練習の問題だと思っている。


それは何でも相手の言う通りにするということでは決してなくて。
自分の思ったことと相手の思ったことをまずはお互い否定せずにテーブルの上に並べる。
そして話し合うということがコミュニケ―ションの基本だと思うから。

その時に『怒り』の感情にフォーカスしすぎるとテーブルの上に『怒り』『怒り』『怒り』みたいなカードを並べることになって
お互いそれで殴りあうみたなことになっちゃうので…
その怒りの前にある『悲しかった』『寂しかった』『バカにされていると感じた』『こういう風にしてほしかった』『これは嫌だった』みたいな素直なカードを出せるといいよね。

まぁ僕も昔は感情をコントロールできなくて怒鳴り散らしてたので、難しさは痛い程わかるけど…


まーあコミュニケーションは奥が深いですわ!
頭ではわかっててもどうしてもできないこともあるし。
複数の関係の話だって僕も実際そうなった時にはどんな感情が生まれてくるかまだわかんないし。
その時はその時でまた向き合って消化して進化していきたい。

 

恋愛関係だけじゃなく全ての人間関係において
人と深くつきあうとその分感情もたくさん動いて大変なことも多いけど、その分1人では辿りつけなかった所に辿りつけたりもする。


だからやっぱり面白いし素晴らしいことだよなと、
最近あらためて思ったりしています。