『あなたはそのままでもいい。だけど変わることもできる』ということの難しさ

前回の記事、『‪なぜ浮気はダメなのか?本当にダメなのか?』よりもさらに数年前に話は遡る。

このこともきっかけの1つとなって僕の中にありのままのその人を受け入れようという意識が生まれたのだと思う…という出来事のお話。

 

10年以上昔の話になるけど『10年ぐらい付き合ってる彼氏がいる女性』と付き合うことになった。

当時彼女はその彼氏と一緒に暮らしていた。

彼女は幼少期の親からの虐待の影響等もあり心身ともに病を抱えているような状態だったので働いておらず、僕はというとその頃 無職 だった。

出会ってから程なくして彼女は一緒に暮らしている男性と別れて僕と付き合うことになったが本人に家を出るという経済力はなく、無職の僕にも当然養える余裕などなかったので元カレと一緒に暮らしながら僕と付き合うという謎の生活が始まった。

(ちなみに彼女と付き合ってすぐ僕は仕事を始めた。しばらくして彼女も仕事を見つけて家を出るという話もあったりしたのだけど…)

 

その頃の自分は考え方が変わることで少しずつ生きやすくなってきていて、こんな自分でも変われたんだからこの方法は全ての人に当てはまるんじゃないかと思い始めていた。

ちょうどそんなタイミングだった。

 

彼女は普段は明るかったけれど時々情緒が不安定になったり精神面からくる身体的な発作が起こったりして辛そうだったので、僕は自分と付き合う中で彼女がすこしでも楽になれればいいのにと思っていた。

彼女を救いたいというような傲慢な気持ちがどこかにあったと思う。

 

そして彼女はトラウマから解放されて自由になりました。めでたしめでたし。

…という風にはやっぱりいかなくて、彼女との付き合いは20代の僕にとっては初めて直面することばかりで困難の連続だった。

 

まず自分の言動の何が彼女の地雷を踏んでしまうのかがわからなくて、いつのまにか正解を探すように接するようになってしまっていた。自分では彼女の不安をケアできるようにできる限り注意を払っていたつもりだったがそれは十分ではなかったみたいだ。

それに少しはマシになってきていたとはいえ、まだまだ自分自身が自分の感情ともうまく付き合えているとは言い難く、不用意に感情をぶつけてしまうことも多かった。

 

さらにややこしかったのは彼女が元カレと暮らしていたことで、それだけでも異様な状態なのにことあるごとに元カレと比べられてしまうのが辛かった。

10年一緒にいる元カレはそりゃあ彼女のことを理解しているだろう。病気についても理解しているし、こういう時はこうすればいい、これは言ってはいけない、等色々積み重ねてきたからこその安心がある。

それに比べれば僕は何も知らないに等しい。

20代前半で屈折したプライドもまだガチガチにあった。

何かあるたびに「◯◯ならこうしてくれたのに」と言われて僕はどんどん自信をなくしていったし精神的に不安定になっていった。

一緒に寝ていてもいつ発作が起きるかわからないから少しの物音で飛び起きるようになり、心身ともに疲れが溜まってきていて一体何が正解なのかがわからなくなっていた。

 

 

そんな折、彼女が自殺未遂をしたのだった。

 

 

いろんなものが重なってしまったのだと思うけど…当時の記憶があまりなく時系列もバラバラかもしれない。詳細はもう今となってはわからない。

 

 

そしてその事実を僕は元カレからの電話で知った。

 

一緒に住んでいるから発見したのは元カレだったんだけど、僕の存在も知っていたので電話をかけてくれて、こんなことがあって今こういう状態で…みたいな話をしてくれたように記憶している。

(衝撃が大きすぎて本当に記憶に自信はない…)

その元カレは当時の僕より10歳以上年上の人だったかな。

 

結果的に彼女は無事だったんだけど…

彼女を救いたいなどと偉そうに息巻いておきながら彼女の精神の安定に何の寄与もできていなかった自分の無力さが情けなくなると同時に頭をガツンと殴られた気がした。

 

 

元カレの話は彼女から少し聞いていた。

元カレが彼女にしてきたひどい話なども聞いていて、その内容は人としてどうなんだ?と思うようなものもあったから「俺ならさすがにそんなことはしない」と思いながら聞いていた。

そんなことをする人と一緒にいるよりは僕といた方がまだマシなんじゃないか、とも。

 

だけどその時あらためて考えた。

10年付き合っていた彼女に新しい男ができて、別れて。でも仕事も住む場所もなくなってしまうから彼女のことを養って、新しい彼氏と遊びに出かける彼女を送り出す…というのはどんな気持ちなんだろう。彼女が自殺未遂をしたことを新しい彼氏に連絡するという気持ちは?

逆の立場だったら自分にそんなことができるだろうか?

 

 

愛って一体何なんだろう…と思った。

僕は何か重大な思い違いをしていたんじゃないだろうかと急に足元が崩れるような思いがした。

 

僕は彼女のことが好きだったし、誰よりも彼女の幸せを願っていた。つもりだった。

楽になってほしかった。

自由になってほしかった。

良かれと思っていた。

 

 

だけど結果的に僕が(直接的には言っていないけど無意識の内に)発していたメッセージは

『あなたはそのままではダメだ』

『あなたは変わらなければならない』

というものになってしまっていたんじゃないか。

 

変わった方が本人が楽になれるとしても、変わった方がいいというスタンスでいられると結果的にそのままではダメなんだというのとニアリーイコールだ。

 

今思えば、彼女とうまくやっていきたい(揉めたくない)とか早く楽になってほしいという思いが先行して、その時点でのありのままの彼女の状態を受け止める余裕が僕になかったように思う。

 

「あなたは変われないだろうからそのままでいい」
というのでもなく

「そのままでは良くないから変わった方がいい」
というのでもなく

「あなたはそのままでもいい。だけど変わることもできる」
ということの難しさ。

 

「そのままでもいい」と
当時の僕は言ってあげられなかった。

 

 

 

かたやその元カレは、今まで彼女に酷いことをしたことはあったのかもしれないし、彼女が変われるということを信じてはいなかったかもしれないけど、少なくともありのままの彼女のことを受け入れていたんじゃないかと思った。

 

 

10年も一緒にいたのだ。家族も同然だ。

いくつかの出来事を聞いただけの僕にその関係性はわからない。

 

 

彼女を変えようとする僕と

ありのままを受け入れ暮らしてきた元カレと

 

どちらが愛なのかは明白で

そんな事実を突きつけられた気がした。

 

 

人が人を変えられるなどと

人が人を救えるなどと

無意識の内に思い上がっていた自分が恥ずかしくなった。

 

 

 

それからしばらくして彼女とは別れることになった。

それから一度も会っていない。

 

 

だけどあの日々の出来事はずっと自分の中にある。

あれらの経験は自分にとって『何だったのか』

何の学びだったのか

あれからずっと考えてきた。

 


それからの十数年、どうすればありのままのその人を受け入れられるのか、自分と向き合い続けた。

その後付き合ったパートナーとも向き合い続けた。

まだまだ未熟だし課題は多いけど、ありのままのその人を受け入れることを阻んでいる自分の観念・感情を一つずつ消化してきたつもりだ。

 

 

だから今でも僕は人に自分の意見を言う時には慎重に自分を観察している。

人を助けようなどという気持ちが生まれていないかチェックしている。

人の選択に関与しすぎていないか。

だって助けてもらわなければならないような力のない人なんていないんだから。

 

 

基本的には人のことに関しては向こうが相談してきて初めて意見を言うようにしているし、言ったとしても絶対に押しつけない。

僕がその人を『変える』のではなく、人は変わる時には勝手に変わる。

その人の意思で選択をし、本人の力で変わるのだ。

どのみちそれでしか意味がない。

 

それに人が変わった”方がいい”とも今は思っていない。

変わらないといけないとか変わった方がいいとかいうことなんてない。

 

ただ その人のやっていることはその人の本当の目的には適っていない場合がある、というそれだけ。

 

自分にとってこうした方がいいとか方法論みたいなものがあったとしても

自分がそれを学んだことによってものすごく役立ったったのだとしても

それが全ての人に今のタイミングであてはまるとは限らない。

どうやったって人が人を変えることはできない。

それを肝に銘じている。

 

"馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない"

ということわざがあるけれどその後も本当にそれを色んな場面で実感した。

 

(ちなみに人のことが気になりすぎたり人の問題に関与しすぎる場合は、人の課題と自分の課題を混同してしまっている。それらを分けて考えることの重要性についてはアルフレッド・アドラーの思想が対話形式の物語にまとめられている『嫌われる勇気』にも詳しく書かれていてわかりやすかった。気になる人は読んでみてほしい)

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

 

『変わりたいと思っていない人の所にわざわざでかけていってその人を変えようとする』

それはやっぱり変なんだよね。

 

 

そうまでして”相手が変わらなければならない”と思うのだとしたら、相手の為と言いながら自分の為だったりすることも多いんだよ。

いくら変わった方が楽になれたり楽しく生きられるとしても本人に変わる気がなければ周りからその人を変えてあげることはできないんだから。

だからこういう風になりたいとか変わりたいんだけどどうしたいいだろう?と言われたら自分の意見は言うだろうし、相談された時には話を聞いたり一緒にその課題の根底にある原因を探していくようなことはできるかもしれない。

 

だけどその人が悩んでるから落ち込んでるから病んでるから迷ってるからって

それがダメだとかね、甘えてるとか、弱いとか。

今は思わない。

そういう感じがある。

悩む自由・落ち込む自由・病む自由・迷う自由、

同じ所にとどまり続ける自由、

そしてそういう気持ちを尊重したい。

 

ただそれはあくまでそんな今のあなたもOKという意味であって「あなたはそういう人間だからしょうがない」「あなたは変われない」という意味では決して無い。

 

もし変わりたいとか今の問題を解決したいという気持ちがあるならそれは可能だと断言する。

 

その後どん底から這い上がる人を何人も見てきた。

うまく説明できないけどこれは誰もが可能だという確信がある。

 

今までがどうだったかや性格も関係ないし

遅すぎるということもない。

いつでも違う道を選択できる。

 

選択できるけど、"それを今の時点で選択できない自分"を責める必要もない。

絶対に他の選択をしなければならないということもない。

人にはそれぞれのタイミングがある。

 

『自分で現状を変える力を持っているその人』の姿が僕には見えている。

だから本当のその人にただ接するようにしている。

 

今の段階で本人はその力を信じていないかもしれない。

だけど僕は信じている。

なぜならそれを知っているから。

何度うまくいかなくて同じ所をグルグルしているように見えたとしてもそれでも信じ続ける。

直接的に変えようとしなくたっていい。

別に変わらなくたっていい。

ただ力のあるその人として接していく。

 

そうするとなぜか本人にも『現状を変えることができるかもしれない自分の姿』が見え始めたりする。

(ある程度の関係性がないと難しいけど)

 

頑張れと言わないでおきましょうとかさ、否定しないで話を聞きましょうとかさ、そういうHow Toもあるかもしんないけど、結局周りができることで一番大事なのってそういうHow To以前のことなんじゃないかと今は思っている。

 

人を助けようと思うのは、どこかでその人のことを助けられなければならない力のない人だと思っているのかもしれない。

人に意見を押し付けるのは、どこかでその人には適切な選択をする力がないと下に見ているのかもしれない。

変われない人にイライラするのは、どこかでその人が本当に変われるとは信じていないのかもしれない。

 

その人に早く変わってほしくて結果的にあなたはダメだという印象を植え付けるのではなく。

その人が大切な人なら、その人が本当に困った時・本当に変わりたいと思った時に

手を差し伸べられる距離にいること。

どんな時でもその人の本当の力を信じていること。

 

 

もちろん僕も24時間365日そういう意識でいれてる訳じゃない。そりゃあ人のことが気になることもあれば腹が立つこともある。

だからこそいつでもそこに立ち返れるように自分の為に書いているようなところもある。

 

 

ちなみにそういった考えを持っていることもあるから僕がその人のテリトリーにでかけていって

「どうしたの?何か悩んでるの?」「話聞こうか?」とか「こうした方がいいよ!」「変わった方がいいよ!」と言うことは滅多にないから、ドライなのかな、あまり人と関わりたくないのかな、と感じさせてしまっていたら申し訳ないけれど。

それはそういう理由です。

 

 

そこは思い上がらないように注意しながらも、もうちょっと話しかけやすい雰囲気を出せた方がいいのかなとは思うけど。

 

だから僕が人に興味がないように見えるとしたら人の課題は人の課題とある種割り切っている所があるだけのことで、もし誰かが何か困っていて僕にできることがあるなら力になりたいという気持ちはある。

あの時は彼女と共倒れになってしまいそうだったけれど、そういう経験を経て今は随分人の感情に巻き込まれないようにもなった。

そりゃあ直接的に暴言を吐かれたり自分に影響があるような場合は「それは悲しい」とか「それはやめてほしい」と言うかもしれないけど。

でもその人が仮にネガティブな状態だったとしても第三者的に話を聞く分にはそれに引っ張られることはほとんどなくなった。

 

だから人から相談を受けても別に負担には思わないので何かあったら気軽に声をかけてほしいと思う。

 

結局当時の僕は彼女の力にはなれなかったし何もできなかった。

何なら僕といることで彼女の状態は悪化してしまったのかもしれないしこんな簡単な言葉で言えることではないけど…

彼女には本当に感謝している。

 

そういう経験の一つ一つが今の自分を作っていると思うから。

 

 

今までたくさんの人を傷つけたし、人からいろんなものを貰ってばかりだった。

本人に返すことはできないけど、その分これからの人生では人から貰ったものを少しでも誰かに渡すことができればいいなと思っている。